吉野山人雑文集
吉野山人運気情報
吉野山人プロフィール

■吉野山人雑文集

  1. 役行者シンポジューム
  2. 朝日新聞/この人に聞く
  3. 役行者ルネッサンス宣言
  4. 世界遺産と吉野大峯
  5. 吉野山人の雑文録
  6. 山人が選んだ講演・シンポ記録

5.吉野山人雑文録

  1. 親友との夏
  2. 息子と大峯山に登る
  3. 野外学会基調講演
  4. 国際シンポジウム『水・森・いのち』
  5. 日本山岳会講演
  6. 母子保健協会(h17・10)
  7. 夫婦の情景

1.親友との夏
-平成11年6月あやべ市民新聞「風声」掲載

 夏が来る度に親友Sのことを思い出す。彼とは中学二年の時に出会った。同じクラスになって、しばらくして親友になった。確かボクから、まるで初恋の人に告白するように、「一生親友でいよう」と宣言したことを覚えている。そして宣言通り、ボク達は親友として中学時代を共に過ごした。中学を卒業し、ボクだけが故郷を遠く離れた滋賀県の高校に進むのだが、その後もずーっと連絡を取り合い、親友でありつづけた。成人して、お互いの結婚式にも行ったし、家族ぐるみのつき合いもした。

その彼が平成四年の夏、突然に亡くなる。一生親友でいようと誓い合った二人の約束を反故にして、逝ったのである。海水浴中、一瞬の波に呑まれたのであった。三十八歳の短い人生。訃報を聞いて、涙で目の前をぐしゃぐしゃにしながら、彼のもとへと車を走らせたことを今でも昨日のように覚えている。 日蓮上人の言葉に「命は限りあることなり。すこしも驚くなかれ」(法華証明抄)とあるが、あの時の驚きと悲しみほど、胸を痛めたことはなかった。でもあの時の彼の死をもって、命に限りなることなし…という真理がボクの心にインプットされたのであった。彼はその時から、ボクの心に生き続けているともいえる。夏が来る度にそのことを思い出している。

人は誰でも、この世に生まれ出た瞬間から確実に死に向かって歩みを始めている。紛れのない真実である。といってそんなことを常に心に思って生きている人はまずいないにちがいない。もし本当にそう思うのなら、この世は誠にせわしくて、とてつもなく切なくて、楽しくもなんともない世界になってしまうからだ。でも死はやはり突然に訪れるものなのである。

「覚悟はあるか」と聞かれたら、もう何十年も僧侶をしているくせに、なんとも頼りない自分を感じている。正直な気持ちである。親友Sに「あいかわらず情けないやっちゃな」と笑われているのかも知れないが、それも良しとしたい。そんなことを思いつつ、今年も熱い夏を迎えることになるのだ。覚悟はないが、彼の忌日にまた「死に習う」ことができるのだから…。「死に習う」とはいつも死を心に置いて、一瞬一瞬を懸命に生きるということである。一生続く親友からのメッセージである。

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2.息子と大峯山に登る
-平成11年1月あやべ市民新聞「風声」掲載

 一年生になった息子をつれ、昨年夏、奈良県吉野の大峯山山上ヶ岳に登った。あの女人禁制で名高い、大峯山である。実は私も幼い頃に父に連れられて大峯山に登っている。私は五才の時に初めて登ったのであるから、昨年で六才の息子は私より一年遅れの山上参りであった。綾部を始め丹波地方一帯は、男の行場として、昔から大峯山山上ヶ岳への登山修行が非常に盛んな土地柄で、山上参りとか行者参りなどと呼んで、つい近年まで「山上参りをしなければ一人前の男になれない」とさえ言われたものであった。年輩の方には覚えがある人も多いだろう。

それはさておき、息子の手を引いて、山を行く道すがら、言葉では表せ得ぬ感慨深いものがあった。親子で登る有り難さを感じるだけでなく、自分の人生についての責任に想いが巡り、思わず我が息子の存在の大きさに思いを致したのであった。私が親父から受け継いだものを息子に伝える…まだ何もわからないとはいえ、息子にとってはきっといつかは気がつくであろう受け継ぐという意味の尊さ。大袈裟な言い方になるが、よき伝統や慣習の継続は人間の尊厳に触れるような、凛とした思いを抱かせるものがあった。

その山上参りの道中、多くの登拝者にすれ違った。例の「ようお参り!」の挨拶を交わし合うのであるが、とりわけ息子に対する人々の励ましの声は大きかった。わざわざ足を止めて声を掛けてくれる先達、行者さんもあった。幼い子のお参りを山全体で祝してもらっているようでこれも大変嬉しかったことである。近頃は大峯参りの信者さんも減って、私の知る昔から見ても、山の衰微は著しいが、それだけに山伏装束で息子の手を引く親子の姿が、皆の目を引いたのかもしれない。

いつかは大峯山も女性が登れる時代が来るに違いない。その時は長女も一緒に登りたいと思っている。伝統や慣習は時代と共に常に変革していくものである。但し、息子や娘が成人した数十年後に、彼らも又自分の子供達を連れて、あの山に登りたいというような形で、大峯山は残って欲しいものである。今はなかなか、次代に胸張って渡せるものが見出せ得ない切ない時代であるから…。そんな風に考えながらも、当の息子には親の思いなど届いたものかどうか、どうも怪しい次第である。

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