役行者
役行者の生涯
役行者の教え
秘仏本尊ご開帳・修験大結集

役行者ルネッサンス

■役行者の教えとは?

役行者によって開かれた修験道は今日我々に何を教えてくれているのでしょう。 役行者の生涯を総見してきたまとめとして、考察しておきたいと考えます。
  1. 実修実験
  2. 自然環境問題
  3. 優婆塞宗教
  4. 菩薩の時代

1.実修実験

 役行者の遺訓として、「身の苦によって心乱れざれば、証課自ずから至る」(『役行者本記』)という有名な言説があります。修験道は実修実験、あるいは修行得験の道とか言われるように、自ら修して、自らその験しを得るところに神髄があります。修するとは、役行者の教えを修するのであり、験しを得るとは、単に験力や神仏の加護を獲得することを目的とするばかりではなく、究極は自らの心の高まり(菩提心)を得ることに他なりません。自らの身体でもってそれぞれに体験し、その精神を高めていくというあり方は、ある種、万人に向いた親切な教えであると言えるとともに、実体感を喪失しつつある今日の現代社会に大きな問いかけを与えてくれています。

現代社会は無痛文明という、人間の肉体が精神をコントロールするという主客逆転の有り様を蔓延させつつあります。文明社会が成長するにつれ、自動車や種々の電化製品など我々の周りには、身体的苦痛を取り去る便利な道具が次々と開発され、心が肉体によって飼い慣らされる生活を知らず知らずの内に定着させています。しかし人間は本来、精神を主とし、肉体を従者としてあるわけで、ここを踏み外すと大きな過ちを犯してしまうに違いありません。肉体が楽をすることを優先させる文明社会へのアンチテーゼとして、「身の苦によって…」という役行者の教えを以てする実修実験の修験道は、今こそ、大きな役割を次代に担っているといえるでしょう。

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2.自然環境問題

 20世紀末を迎え、高度に進んだ文明社会は、人間の生活環境を一変させましたが、それは決して良い方向にばかり進んだわけではなく、却って我々が住む地球や自然の環境破壊を引き起こし、人類の存続さえ危ぶまれるというところまで、行き詰まりつつあります。地球温暖化、酸性雨、オゾン層破壊、ダイオキシン汚染はじめ、枚挙にいとまがないほど、我々の取り巻く環境は犯されつつあります。ところで修験道は開祖役行者以来、大自然を神仏まします道場と見、祈りと感謝の気持ちを以て、行じてまいりました。自然を征服するのではなく、歩かせていただく、入らせていただくという精神で関わってきたのです。地球環境問題が大きな注目を集める今、本来、自然との共生を計ってきた役行者及び修験道の持つ精神性は、無痛文明批判と並んで、新世紀への時代を先取りしたものといえるでしょう。

そういった観点からも、エコ(エコロジー…自然環境保護運動のこと)の象徴として、役行者の精神性を標榜してもいいのではと思われます。エンの行者は、正にエコの行者なのです。

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3.優婆塞宗教

 ご承知のように役行者は別名、役優婆塞(えんのうばそく)と呼ばれています。御真言は「おんぎゃくぎゃくえんのうばそくあらんきゃそわか」とお唱えします。この優婆塞というのは仏教の四衆の一で、四衆とは以下です。

比丘 …出家の男性修行者
比丘尼…出家の女性修行者
優婆塞…在家の男性修行者
優婆夷…在家の女性修行者

つまり役行者は終生を在家のまま通されたことから、エンノウバソクと呼ばれたのであります。

修験道は開祖の遺風に拠って、在家主義の宗教であります。優婆塞優婆夷の在家仏教と言われる所以であります。真俗一貫、在家の生活を守ったまま仏道に叶う生き方を見つけていく、自らを高めていく、ここに修験道の真骨頂があるのです。

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4.菩薩の時代

 寛政十一年、役行者千百年遠忌に際し、時の帝、光格天皇から「神変大菩薩」の諡号を賜ったことは既に役行者の生涯の項で言及したところですが、この大菩薩という諡号のもつ意味を考えておきたいと思います。

菩薩というのは上求菩提下化衆生=菩薩道を実践する人のことであり、六波羅蜜行、自利利他円満の修行徳目を行じていきます。これは究極のところ、他人と自分、他者と自者を分けない、そういう世界を目指すことであります。

人類の歴史はいわば対立と争いの歴史でありました。他と自を対立的に捉える限り、国家、民族、宗教、文化等あらゆる面で、融合は生み得ないでしょう。それはまた、前項に掲げた自然環境問題に関しても同様に、人類と自然、地球との共生を考えたとき、両者を対立的に考えていては、いつまでたっても、正しい答えが導き出せないと思われます。生けとし生けるもの全てに、大いなる慈悲を以て、自らを慈しむがごとく、他者をも慈しむ、そういう精神性を、次世紀の我々は目指さねばならないのであり、そういったところまで追いつめられているとさえ、言えるであります。

さて、人類の歴史と文明社会はそのように様々な問題を持ち越したまま、千年紀の区切りを迎えているのであり、新世紀には対立を乗り越える価値観が必要とされています。「心の時代」とか「共生の時代」とか喧伝される次世紀のキーワードがありますが、実に、対立を止揚する価値観として「菩薩の時代」を迎えているように感じます。そして、その菩薩の精神は、神変大菩薩の法孫である現在の修験者が、「大菩薩の子ー小菩薩」の自覚を持って継承確立させていかなければならないと思っています。

西暦二〇〇〇年という次世紀の幕開けを迎える年は役行者の一三〇〇年忌に当たります。これを単なる偶然の符合と考えず、現代の修験者は役尊末弟の自覚を持って、もう一度役行者が持つ精神性やその遺徳を、普遍化させて行かなければならないでしょう。遠忌をつとめることとは、正にそういった活動から始められるべきだと実感しています。

「役行者ルネッサンス」宣言の源はここにあります。

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