

これは日本の国土が山に覆われ、四季折々に変化する大自然と信仰が結びついていたからです。
山自体をご神体(法体)として拝むことに始まり、山の中、つまりご神体の中に入って修行することにより呪術的な験力を得る事を望んだのです。

修験道では今から約1300年前に誕生された役行者神変大菩薩を開祖と仰ぎ、聖護院では平安期の高僧、第5代天台座主智證大師圓珍を中興の祖と呼んでいます。
修験道は山岳崇拝の精神を基とし、厳しい山々で修行し、困苦を忍び、心身を修練し、悟りを開いて仏果を得る、という出家・在家を問わない菩薩道、即身即仏を実修する日本古来の宗教です。

修行して験徳を顕わすことを言います。
人は本来、仏様と同じ本性(仏性)を持っています。
ところが煩悩という迷いの中で悪い事を行ってしまい、本性を曇らせているのです。
修行してこの曇りを磨き、悪から離れて清らかな本心を発揮する。
そして法の徳を顕わすことが修験の意味で、これを実践する人を修験者と言います。
修験十二箇条に、
「凡ソ修験ト称シ候ハ、実行ヲ修シ験法コレヲ成スル之義也」
秘訣集に、
「修トハ修生始覚ノ修行、験トハ本有本覚ノ験道ナリ」
とあります。

修験修要秘訣集には、
「宗トハ偏ニ一宗一家ノ我法ヲ指ス也。道トハ諸宗融通ノ称也。
能通ヲ義トナシテ一宗一法ニ執セズ、験密禪法ノ三宗ニ通ズ。然レバ即チ宗ハ義狭クシテ道ハ理寛シ。総ジテ以テ仏道ト云ヒ聖道ト云フガ如シ。」
と説明しています。
現在は修験道のなかに〇〇修験本宗、□□修験宗のように使われています。

テレビ等に出てくる山伏は悪役ばかり。
山伏=悪役、と山伏のイメージは良くない様です。
しかし山伏とは山に伏し修行するが故に山伏といいます。
簡単に云うと山の中で仏道修行をする人を指します。
昔は山臥と書きましたが「伏」の字を使うようになって、その字に意味を持たせる様になりました。


この鈴掛は山へ入り修行する人達が着用する衣躰です。
山伏の着ている鈴懸や肩にかけている結袈裟をみると、何宗の行者か、僧侶か、在家か、得度をしているか、修行の度合いは、さらには偽山伏かどうかまで分かる様になっています。
等多くの情報が一目でわかるのです。
それだけ厳密に規制されていた衣躰だけに、袈裟を着用するにも本山より”袈裟許”をもらってからでないと、使用する事は出来ませんでした。
この鈴掛は、カッパの無い時代に、少々の雨では体まで濡れない、乾くときの気化熱で体が冷えない等結構山歩きに適した服装なんですよ。

聖護院の山伏になる、と言う事は、聖護院から先達の辞令を頂くという事です。
先達の階位は七段階に分かれ、この階位は経験と技量、年数を考慮し上がる事が出来ます。
又試験を受けて、聖護院に伝わる特別な法儀の資格を取得する事も出来ます。
また、他の宗門の方であれば、その宗門から頂かれた書類があれば、 帰入(他宗門より修験に入る)手続きをする事により、本宗の規定で編入する事も出来ます。
詳しくは聖護院まで直接連絡をとり、寺のお坊さんと話をして頂ければ良いと思います。
来る者拒まずですが、誰にでも聖護院の山伏の資格を渡すと言う訳では有りません。
ここで肝心な事は、
「聖護院の山伏になったら、今までの信仰を捨てなければならない」
「家の宗旨を変えなければいけない」
と考えないでください。
修験の道は、あなたがこの世に生を受け、どう生きるかを探す一つの道です。
あなたの道なのです。
そこに今までの信仰、家の宗旨を変える必要は何も無いのです。
ご先祖様の信仰があり、今までのあなたの信心があり、これからのあなたの道をさがすのですから。
家の宗旨や今までの信仰を否定してはいけません。

共に修行をしたいあなた。
一つの道として山伏があります。
ちかごろ目的の不純な修行が多く、「修行」という言葉にアレルギーを感じている人も多いはずです。
修行とは、”毎日の生活が則ち修行である”ということに気づき行動する事です。
修験道の世界は年令性別、老若男女を問わずだれでも門をたたくことができます。
大事なキーワードは、「信仰とは自由である」と理解してください。
「一度入ったら抜けられない」
「抜けてもええけど、何が起こるかわからへんでぇー」
などと脅しとも取れる言葉の鎖で、がんじがらめにされ、苦しんでいる人を良くみかけます。
私達は真面目に修験の道を志す人には「来るもの拒まず。去るもの追わず」の姿勢でみなさんに接しています。
私達の修行に参加・見学したい方は 年中行事 のコーナーに聖護院の行事や修行を紹介しています。
まずはそこから参加・見学してみれば如何でしょう。


修験道では霊山高峰に分け入り、修行を積むことが、重要なこととされています。
釈迦牟尼世尊は、檀特山を、役行者は大峯・葛城の山々を常に修行の道場としてこられ、法華経には 「菩薩の勇猛精進深山に入りて仏道を思惟するを見る」。
聖不動尊秘密陀羅尼経には 「山林寂静の処に入って清浄の地を求め、道場を建立し諸の梵行を修し、念誦の法をなさば本尊を見奉り悉地を円満すべし」とあります。

修験道は大自然の中において実践をもって修養を積み、実行力の涵養と人間性の向上、そして宗教的敬虔心を養うべく努力することが重要なのです。
つまり、入峰修行とは、役行者が開かれた諸国の山に登って自然の声を経典とし、心身を錬麿することにより、清浄心をみがき出して仏と我とが一致する修行なのです。


この護摩の導師を勤める事の出来る人は聖護院で修行し、伝法された人だけなのです。
聖護院では節分の2月3日と、6月7日の高祖役行者のご命日である高祖会(こうそえ)に御門主様導師によって採燈大護摩供を厳修しております。是非おまいりしてください。
また、節分には本堂内で柱源護摩が勤修されております。
節分の採燈大護摩の御札は厄除け・学業成就として、6月7日の高祖会の御札は家内安全、諸願成就に霊験あらたかと全国から信者の方が受けに来られます。
また、全国末寺で地元行者(修験者)と共に相当数の採燈大護摩供修行が行なわれています。