修験道とは?
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■奥駈体験記

ご来光
  1. 吉野山人奥駈記
     -平成8年の奥駈記

  2. 渡辺敏子の奥駈修行記
     -平成9年参加女性の新客体験記
  3. 矢野秀武の奥駈修行記
     -平成11年参加男性の新客体験記

■吉野山人奥駈記

-平成8年奥駈記-
  1. 奥駈行程記 序
  2. 集合日/一日目
  3. 二日目
  4. 三日目
  5. 四日目
  6. 五日目
  7. 六日目
  8. 七日目
  9. 奥駈行程記 終

1.奥駈行程記 序

我々の大峯奥駈修行は吉野から熊野にかけて、延べ八日間で、山中を歩き抜ける。昨年九月に、NHKスペシャルで紹介されたのは我々の行程であるが、奥駈修行は小生たち以外にも、沢山の寺院、行者たちが修行しており、熊野から吉野へ抜ける行程や三日四泊の日程など、様々である。

ただ小生は自分たち以外の奥駈に行ったことがないので、他のことはわからない。以下は小生が数年前に実際に行じたときの修行メモである。興味のある方の参考になればと思い、連載して、転記します。

平成*年の金峯山寺・東南院大峯奥駈修行は七月十三日から二十一日まで、例年通り八泊九日の日程で行われ、延べ六十八名が参加した。筆者にとっては五年ぶり八回目の参加となったが、今回は行程と時間を中心に修行の全容を報告させていただくことにした。

思うに奥駈修行の目的は、参加する人それぞれによって個別の想いはあるにしても、大きくは役行者の足跡を慕い、神仏在す大峯の深山幽谷を跋歩練行して、自身の六根を清浄ならしめ、本来自性清浄心を顕現せしめて、神仏と一体化するという大眼目にある。この精神と目的は古来変わることなく営々と先達から先達へと受け継がれてきたが、時代時代の修行を取り巻く環境の変化によって、行程や修行の形態は少しづつ変容してきているように思われる。そういう意味で今年の奥駈修行の詳細な時間的行程を記録することは意義のあることと言えるであろう。そこで一部筆者の所感を交えつつ、今年の行程をまとめていくこととする。

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2.集合日(七月十三日)/第一日目(七月十四日) 天気快晴

○集合日
 ・行程 東南院集合・結団式


  午後二時     受付開始(集合時間は四時半の案内)
  午後三時半    奉行会ミーティング
  午後五時     道中安全祈願の護摩供修法 於本堂
  午後六時     入 浴
  午後六時四十分  食 事
  午後七時十分   結団式
  午後九時     消灯就寝


○第一日目
 ・行程 吉野山…青根ヶ峯…四寸岩山…五番関…山上ヶ岳


  午前二時     起 床
  午前二時半    朝 食
  午前三時     東南院出発。
  午前三時五分   蔵王堂到着、勤行。
  午前三時二十分  東南院、勤行。
  午前三時三十分  勝手神社、勤行。
  午前三時四十分  小川神社、勤行。
  午前三時五十分  宗信法印墓、勤行。
  午前四時五    雨師神社、勤行。小休止。
  午前四時二十三分 横川覚範首塚、勤行。
  午前四時三十五分 鷲尾神社、勤行。
  午前四時四十五分 水分神社、勤行。新客修行、休憩。
  午前五時五分   水分神社脇旧百丁跡役行者、勤行。
  午前五時二十分  旧閼伽井不動明王、勤行。
  午前五時四十三分 金峯神社、勤行。新客修行、休憩。
  午前六時     金峯神社脇母子堂、勤行。
  午前六時十五分  旧女人結界跡地蔵尊、勤行。
  午前六時四十五分 吉野古道四寸岩山取り口到着、休憩。
  午前七時二十七分 旧心見茶屋到着、弁当休憩。
  午前八時十五分  四寸岩山山頂到着、勤行。
  午前八時三十五分 足摺宿、勤行。
  午前九時三十分  百丁到着、勤行。休憩。
  午前十時三十分  大天井横掛け水呑場到着、弁当休憩。
  午前十一時二十分 五番関女人結界、勤行。小休止。
  午前十一時五十分 鍋担ぎ役行者堂、勤行。小休止。
  午後一時十分   洞辻茶屋到着、勤行。休憩、葛湯接待。
   新客は表行場  修行のため先発。
  午後二時     新客、鐘懸け修行。
  午後二時半    新客、西の覗き修行。
  午後三時五分   山上東南院参篭所到着、勤行。
           休憩、新客は裏行場 修行のため先発。
  午後四時十分   山上蔵王堂(大峯山寺本堂)集合、勤行。
           新客秘密の行者さんに参拝。
  午後四時四十分  東南院参篭所帰着。
  午後五時三十分  食 事
  午後六時     ミーティング
  午後八時     消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

今年のこの行程の踏破時間は例年に比べてほとんど誤差のない順調なものであった。各所での休憩時間はかなり長かったが、歩く速度が順調であったため、ほぼ例年通りの到着時間となった。

夜のミーティングでは大先達や顧問の筆者への様々な質問が飛び出し、隊全体が第一日目を行じ終えて、まとまりを感じさせる雰囲気となった。

なお、洞辻茶屋で全行程参加の一名が体調極度の不良を理由に下山。 また東南院参篭所でのミーティングの後、全行程参加の2名も足の不調を理由に下山を申し出、了承した。

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3.第二日目(七月十五日) 天気快晴

 ・行程 山上ヶ岳…普賢岳…行者還り岳…講婆世宿…弥山


  午前二時      起 床
  午前二時三十分   朝 食
  午前二時五十分   勤行の後、参篭所出発。
  午前三時      山上本堂にて勤行。
  午前三時五十分   小篠宿、勤行。小休止。
  午前四時三十分   阿弥陀ケ森、勤行。
  午前四時五十分   脇の宿、勤行。小休止。
  午前五時十分    ご来光の勤行。
  午前五時四十五分  経箱到着、勤行。新客修行、休憩。
  午前六時二十分   小普賢、勤行。
  午前六時三十五分  大普賢、勤行。
  午前七時二十分   薩摩転げ通過。
  午前七時三十五分  稚児泊到着。勤行、弁当休憩。
  午前八時十分    国見岳、勤行。
  午前八時二十分   七ツ池、勤行。
  午前八時四十分   七曜岳、勤行。
  午前九時五分    小休止。
  午前九時五十五分  行者還り岳、勤行。
  午前十時十分    行者還り岳小屋到着、弁当休憩。
  午前十一時四十五分 一の多和、勤行。小休止。
  午後十二時四十三分 石休宿、勤行。
  午後一時三十五分  講婆世宿、到着。勤行、休憩。
            ここより自由に弥山胸突き八丁登走。
  午後三時      最終組、弥山山小屋に到着。
  午後三時十分    弥山弁天社参拝、勤行。
  午後四時五十分   食 事
  午後五時五分    ミ-ティング
  午後八時      消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

ミーティング後、新客のH氏が膝の故障を申し出で来て、一旦下山を決意してもらう。確かに故障者を抱えての修行は隊全体の遅れに繋がるし、峰中行程での棄権は下山の為には奉行を同伴させねばならなくならず、判断が難しい。

前日の山上ヶ岳で二人の参加者に断念を促したのも(最終的には本人の判断を聞いた上で、大先達が決定する)、そういう事情からで、その結果もあって、今日の行程は遅れる人もなく順調に行じることが出来た。ただ東南院の奥駈は、基本的にみんな連れて行かせてもらうというポリシーを守って行じており、また前鬼一日の行程を前にしての断念は如何にも残念そうなH氏の態度をみて、筆者自身気に掛かるところであった。その後、H氏の決意を確認した上で、救護班の二奉行がサポートを申し出、同行することになり、結果は、一時間半遅れで前鬼に無事到着することになる。奉行の頑張りとH氏の健闘を称えたい。

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4.第三日目(七月十六日) 天気快晴

 ・行程
  弥山…八経ヶ岳…両部分け…釈迦岳…深仙宿
            …太古ノ辻…前鬼山小仲坊


  午前二時五十分  起 床
  午前三時三十分  朝 食
  午前四時     勤行後、出発。
  午前四時十五分  朝鮮ヶ岳遥拝。
  午前四時三十五分 八経ヶ岳山頂到着、勤行。休憩。
  午前五時十五分  明星ヶ岳、勤行。
  午前五時四十分  菊の窟、勤行。
  午前六時十分   小休止。
  午前七時     船の多和、勤行。小休止。
  午前七時二十八分 七面山遥拝、勤行。
  午前七時五十分  峰中遭難者碑、回向勤行。
  午前八時十分   揚枝の宿、勤行。弁当休憩。
  午前八時五十分  仏生ヶ岳、勤行。
  午前九時五十五分 孔雀岳、勤行。五百羅漢遥拝。
  午前十時三十分  両部分け、勤行。
  午前十時四十分  椽の鼻、勤行。
  午前十一時    釈迦ヶ岳登り口到着、弁当休憩。
  午前十一時五十分 釈迦ヶ岳到着、採灯護摩供奉修。
  午後十二時三十分 釈迦ヶ岳出発。
  午後一時十五分  深仙宿到着、勤行。香精水渇水。
  午後一時四十八分 大日岳遥拝、勤行。
  午後二時三分   太古の辻到着、勤行。
  午後二時五十分  都津門(二ツ岩)、勤行。
           ここより自由に前鬼山下山。
  午後三時五十分  前鬼山到着、勤行。
  午後五時十分   最終組、到着。
  午後五時四十分  前半遂行者、遂行証伝達式
  午後六時十分   食 事
  午後九時     消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

前半行程を終えて、五十一名の参加者のうち、四十七名が前鬼山に到着した。初日で三名が下山し、弥山の朝、前半行程参加の一名が急用のため下山した。そして  この夜、前半行程参加者十六名の遂行式が行われ、大先達より遂行証が授与されたのである。

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5.第四日目 (七月十七日) 天気快晴

 ・行程 前鬼山裏行場修行…前鬼口…浦向(松葉旅館)


  午前三時     裏行場組起床
  午前三時三十分  裏行場組出発
  午前三時五十五分 地蔵
  午前四時四十五分 馬頭
  午前五時四十分  行終了
  午前六時二十五分 水行
  午前六時三十分  裏行場出発
  午前七時十七分  小仲坊帰着
 (午前四時三十分  残留組起床)
 (午前四時五十分  残留組止観行)
 (午前五時四十分  残留組朝座勤行)
 (午前六時     小仲坊諸霊回向法要)
 (午前六時五十分  食事準備)
  午前七時三十分  朝食
  午前八時十五分  出発
  午前九時四十分  前鬼口先頭組到着
  午前十時二十分  前鬼口最終組到着
  午前十時五十分  前鬼口、バスにて出発
  午前十一時三十分 浦向松葉旅館到着
 (午前十時四十分  後半参加組浦向到着)
  午後三時     奉行会、後半の奉行任命。
  午後五時     後半行結団式
  午後六時     食 事
  午前八時     消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

  前鬼山の朝はいつも修行組と残留組の二隊に分かれる。修行組は前鬼山裏行場に出かける。素晴らしい行場である。それなら皆行けばと言うことになろうが、いささか遠い。健脚で片道一時間はかかろうかという距離である。全員行けばその分行場での時間もかかる。それで残留組は止観となるのである。今年は三十一名が裏行場へ、十六名が止観行を行った。近年の様子は知らないが、総体的に残留組の修行はいい加減になりがちであるが、今年は小生が残留組に残ったため、止観の方もきっちり行じた(?)。前鬼山の霊気の中で、静寂の一時が心にしみたのであった。

前鬼山を下りると全行程組は前半組と別れを告げて、浦向で女性を交えた後半参加の人々と合流する。半日の休養日でもある。

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6.第五日目(七月十八日) 天気快晴

いよいよ女性が参加する後半部分の始まりです。


 ・行程 浦向…行仙ヶ岳…笠捨山…鎗ヶ岳…地蔵岳…上葛川


  午前二時     起 床
  午前二時二十分  食 事
  午前三時五分   出 発
  午前三時五十五分 小休止
  午前四時五十分  小休止
  午前五時四十分  ご来光の勤行
  午前六時十分   行仙ヶ岳登口到着、休憩。
  午前七時     行仙小屋、勤行。休憩、接待あり。
  午前七時四十分  八大童子、勤行。
  午前八時     弁当休憩。
  午前八時五十分  八大童子、勤行。
  午前九時二十分  笠捨山山頂到着、勤行。休憩。
  午前九時五十七分 葛川辻、勤行、休憩。
  午前十時五十分  鎗ヶ岳、勤行。
  午前十一時五分  地蔵岳、勤行。
  午前十一時四十分 弁当休憩
  正 午      四阿宿、勤行。
  午後十二時二十分 菊ケ池、勤行。
  午後十二時五十分 香精山、勤行。小休止。
  午後一時二十八分 貝吹野、勤行。
  午後一時四十分  塔の谷峠、勤行、小休止。
  午後二時四十分  上葛川到着。
  午後二時五十分  本隊、宿(旅館浦島)へ
          (大先達他、森下宅で勤行)
  午後五時     食 事
  午後五時十五分  ミ-ティング
  午後九時     消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

いつも思うことであるが、女性が加わる後半行程は雰囲気が変わる。前半から歩いている行者がそんなにちゃらちゃらするわけでもないし、ちゃらちゃらしたくなるような妙齢の美女が加わるわけでもないのに、隊全体の空気が和やかになるのである。だからといって小生は、行に女性は妨げだとは思わない。この世の中、所詮男と女しかいないのだから、互いに助け合い、補い合い行ずるところに、菩薩修行の本意があるのである。いや男勝りの女性だってたんと居る。おお昔ならいざ知らず、女人禁制など、もう無価値な時代に我々は生きている。

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7.第六日目(七月十九日) 天気、晴れのち小雨


・行程 上葛川…花折塚…玉置辻…宝冠ノ森…玉置神社


  午前四時     起 床
  午前四時十五分  食 事
  午前四時五十五分 出 発
  午前五時     森下宅、勤行。
  午前五時五十分  蜘の口、勤行。小休止。
  午前六時五分   稚児ノ森、勤行。
  午前六時三十五分 ご来光の勤行。
  午前六時五十分  小休止。
  午前七時四十分  花折塚、勤行。小休止。
  午前八時四十分  玉置辻、勤行。弁当休憩。
  午前十時     宝冠ノ森到着。
  午前十時十分   護摩供と千巻心経奉修。
  午前十一時十分  宝冠ノ森、出発。
  午前十一時五十分 玉置辻帰着、弁当休憩。
  正午二十五分   玉置山頂、拝み返し。勤行。
  正午四十五分   二つ石社・玉石社、勤行。
  午後一時五分   玉置山諸霊、慰霊勤行。
  午後一時二十三分 玉置神社本殿到着、勤行。
  午後一時四十分  玉置神社、諸殿参拝終了。
           接待あり。
  午後三時三十分  臨時奉行会
  午後五時     食 事
  午後五時三十分  ミ-ティング
  午後九時     消灯就寝
      

<補足と筆者所感>

南奥駈道の惨状は筆舌に尽くしがたい。一時、来る度に林道の拡幅工事が伸展し、山は無惨に開発されていたが、もうここに昔の面影はない。行者にとっても哀しい開発なのである。山は我々行者にとって道場であり、神仏在す曼荼羅世界そのものである。何とかしなければならないと、痛感した。

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8.第七日目(七月二十日) 天気、雨のち曇り


 ・行程 玉置神社…折立…(バス)…熊野本宮大社…神倉社
                 …速玉社…那智山…勝浦温泉


  午前三時     起 床
  午前三時三十分  止観行
  午前四時十五分  食 事
  午前五時     出 発
  午前六時     小休止
  午前七時十五分  弁当休憩
  午前八時十分   八大龍王お瀧場、勤行。弁当休憩。
  午前八時四十分  折立到着、貸し切りバス乗車。
  午前九時三十分  バス、熊野本宮大社帰着。
           整列して行道の後、参拝。
  午前十一時十分  新宮・神倉社、整列して行道参拝。
  午前十一時五十分 新宮・速玉社、整列して行道参拝。
           参拝後、境内で弁当休憩。接待あり。
           休憩中、一部が正寿院、神州院参拝。
  午後一時     速玉社出発。
  午後一時三十分  那智、飛瀧大社参拝。
  午後二時十分   那智、青岸渡寺参拝。
  午後二時三十五分 那智、那智大社参拝。
  午後二時五十分  無事、修行行程終了。
  午後三時四十分  勝浦温泉・こしの湯到着。
  午後六時     満行式、精進揚げの宴。
      

<補足と筆者所感>

ここまで来ればもう言うべきことは何もない。ただただ無事の遂行を神仏に感謝するのみである。雨のために玉置ー本宮間が歩けなかったが、これは雨の為だけでなく、行程そのものを考え直す必要がある(作者追記:昨年放映されたNHKスペシャルで、行者が走っていたのは、ここの行程。歓喜の早駈けではあるが、実は上記を見ていただいたらわかるように、行程的にも走らないとその後の行程がこなせないのである…)。

筆者の私見であろうが、今回、折立へ全員下りたのは結果的には大正解で、林道のダラダラ下りも、雨のためにかえって、気を散失することなく行ずることが出来た。この程度の雨降りなら、雨もまた楽し、奥駈行となったのであった。

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9.奥駈行程記 終

 最終日です。修行はありません。
 勝浦温泉こしの湯でゆったりしたあとの終わりだけです。

○第八日目(七月二十一日) 天気快晴
 ・行程 朝、現地解散。本隊のみバスにて吉野へ


  午前八時三十分  本隊、こしの湯をバスにて出発。
  午後一時     吉野帰着。蔵王堂、東南院報告勤行。
           全行程遂行。
      

<補足と筆者所感>

東南院奥駈行は吉野山蔵王堂を出発し、大峯連山の金剛界・胎蔵界両曼荼 羅世界を行じて、熊野に抜ける。そして再び吉野山に戻り来たって終えたい ものである。

吉野山に居る我々は必然的に吉野に戻り、蔵王堂と東南院にお参りするが、 遠路の参加者は勝浦で現地解散となるのが通例であった。しかしここ数年は バスをチャーターして本隊が吉野に帰るので、同行する人々が増えてきてい る。喜ばしいことである。やはり最後は無事遂行の御礼参りをご本尊に捧げ ていただきたいと思うからである。七月十四日早朝の出発以来、一週間ぶり に戻った蔵王堂での勤行では、行中に流した汗に劣らぬ感涙が心の中でにじ みでたのであった。

総括として筆者の私的な感想を述べさせていただく。

「修行するのに前もってトレーニングするのはちょっとおかしいんじゃな い?」と時々指摘を受けることがある。至極当然な意見のようにも思えるが、 今回つくづく感じさせられたのは、奥駈行はやはり前もって調身をしておか なければ修行にならないということであった。役行者曰く、『身ノ苦ニ依ッ テ心乱レザレバ証果自カラ生ズ』と教えられるとおり、普段から修験の行者 は心身の鍛錬を積んでおかなければならないのではあるが、現実には日々の 繁多な生活に追われてそうもいかない。

筆者は六年前の奥駈で途中膝を負傷し、随分多くの人に迷惑を掛けたこと がある。自分自身あんな情けない思いをしたことはなかった。その教訓から 今回は早くから調身調心に気をつけ、準備万端整えて参加したのであるが、 それでも二度目の失敗は許されないからと、内心どきどきの修行であった。 幸い無事満行できた。いや、今までで最高の奥駈であったと思う。これは天 候に恵まれたという外的な要素も大きいが、自分自身の心の置き所がよかっ たためでもある。調身の大切さを実感した。行に臨むに足る状態でないと、 行にならないのがこの奥駈行なのである。何人か、途中下山者が出たが、そ ういう意味では遂行するための何かが欠けていたのであろう。そこにこの奥 駈行の難しさがあり、素晴らしさがあるだと思う。落伍を経験したことのあ る筆者の正直な感想である。

参加された延べ六十八名の皆さん、そして陰に日に隊全体を身体を張って サポートしていただいた各奉行のみなさん。本当に良き修行の日々を、あり がとうございました。

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